『犀』
原題:PHINOCEROS
訳:加藤新吉
発表:1963年

「管理人さん、管理人さん、家の中に犀がいます、警察を呼んで下さい!管理人さん!」
イヨネスコの作品の中でかなり有名なやつ。
人が次々にサイに変貌してゆく、というあらすじは聞いた事がある人もあるのではないでしょうか。
私は学生時分に一度上演を観て(たしか燐光群)以来だったのですが、改めて文字で読んでみました。
イヨネスコといえば「意味分からん!」となる不条理劇の王様的ポジションの作家で、あらすじ、といっても言葉に出来ない種類の作品・何が起きているかがさほど重要視されない作品が多いように思うのですが、そんな中、この『犀』は、とても読みやすい!

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あらすじとしてはほんとに、人類が徐々にサイに変わっていく、というだけなんですが、そのサイ化の原因が分かるでもなく、治療法が分かるでもなく、ただただサイになっていく、という所がイヨネスコ的なのかなと思いました。

次第次第にサイの数が増えていき、あぁ、あの人もサイになったのか、サイになる方が幸せじゃないのか、自分の意志でサイになったのでは?などなど、サイになるという現象が多数派になってくると、人々はそれを受け入れるようになってくる。
しまいには、サイにならない事の方が特殊な選択のようにさえ見えてくる展開に、ぞっとするものを感じます。
周りが「自分の理解を越えたもの」になっていく。ならばそこに同化してしまった方が楽なのでは?
こういう思考の危うさ、みたいな物が描かれているように感じます。
書かれた時代的にも、全体主義的なものへの警鐘のようにも思われるこの作品。

ですが作中で私が印象に残ったのはこの台詞。
「ねえ、ベランジェ、常に、理解しようと努めなくちゃ。ある現象とその結果を理解したければ、その原因にまでさかのぼらなくちゃいかん、誠実な知的な努力を、その努力をしなくちゃ、ぼくたちは考える生きものなんだから。」
他者理解への手を伸ばす事の大切さを説いた戯曲のようにも思えます。

しかし、理解しようとした果てに結局何も理解出来なかったら…人類が自分で最後の一人になってしまったら…そんな恐ろしさも感じさせるラストシーンの長台詞はとても強烈でした。
「ぼくは最後の人間だ、ぼくは最後まで人間でいる、負けないぞ、絶対に…」 
人間が原因不明で動物に変貌していく、という点では2023年公開の映画『動物界』を思い出しました。
『動物界』には、何かイヨネスコの影響があったんでしょうか?
この映画の予告編を観た際には、『犀』映画になるんだ!と勘違いした事を思い出しました。


↑友人のアンディ本山氏と『動物界』の感想を語る動画はこちら。


【収録】
『イヨネスコ戯曲全集2』
訳:大久保輝臣、篠沢秀夫、加藤新吉
1969年 白水社


↑手に入りやすいのはこれ


【ネタバレあらすじメモ】

第一幕 田舎町の広場

ジャンとベランジェの二人がカフェでお茶していると、サイの群れが通り過ぎる。
サイについてやや議論の後、ジャンとベランジェが話し始めると老紳士と論理学者も近くで話し出す。2グループの会話が微妙にリンクする。
またサイが来て、主婦の猫が踏まれて死ぬ。主婦は嘆き、皆は同情するが、そのうちジャックとベランジェの「さっきと同じサイ/違うサイ」論争がメインになる。
論理学者が自説をややこしく展開する。
結局何のサイでもいいが、猫を踏み潰したのは許せない、という結論に。
ベランジェはジャンと言い争ったことを反省する。

第二幕

第一場 役所の事務室

デイジィは職場でサイを見たことを主張するが、同僚たちは信じない。
ベランジェが来てサイを見たと言うがやはり人々は信じない。
ブゥフ夫人が来る。彼女はサイに追われてきたという。サイはここまでやってこようとして、階段が壊れ落ちる。よく見るとそのサイは夫のブゥフ氏だ。夫人は話しかけ、サイと共に去る。元教師のボタールは「この騒ぎの黒幕を知っている」と主張。
階段が無くなった為外に出られない一同は消防隊に救出される。

第二場 ジャンの家

ジャンの家にベランジェが謝りに行く。
ジャンは体調を崩しているらしく、ベランジェが心配する度に彼に突っかかる。病状は悪化し、皮膚は硬く緑色に、鼻には角が生える。ジャンはサイとなり、ベランジェは逃げ出す。辺りにはサイが溢れている。

第三幕

ベランジェの家。彼は病気で寝込んでいる。自分がサイになるのではとおびえながら。そこへ同僚のデュダールが来て慰める。やがて彼の口から、職場の部長がサイになったことが告げられ、ベランジェはショックを受ける。
混乱するベランジェにデュドールは言う。「ねえ、ベランジェ、常に、理解しようと努めなくちゃ。ある現象とその結果を理解したければ、その原因にまでさかのぼらなくちゃいかん、誠実な知的な努力を、その努力をしなくちゃ、ぼくたちは考える生きものなんだから。」この台詞がとても良い。
ここからサイになることが異常か正常かなどの議論が始まり、ベランジェはますます荒い気分に。
そこへデイジィがやってきて、ボタールがサイになったことを告げる。デュダールはサイになったものを見捨てない、と言って出ていく。
ベランジェとデイジィの二人は助け合って生きていこうと誓う。電話が鳴る、出るとサイの鳴き声。ラジオをつける、聞こえてくるのはサイの鳴き声。
二人は愛を誓いあい、喧嘩し、やがてデイジィは外へ出ていく。
ベランジェは一人になり、自分がおかしいのかとも思い、サイになりたい思いを吐露する。が、最後には人間として立ち向かう決意を謳う。
「ぼくは最後の人間だ、ぼくは最後まで人間でいる、負けないぞ、絶対に…」
かっこいい独白で、幕。