『顔を捨てた男』
原題:A Different Man
監督:アーロン・シンバーグ
製作:2023年(公開は2025年)/アメリカ
上映時間:112分


話題の映画製作会社・A24の新作。
主演は『アベンジャーズ』シリーズでも存在感を放つセバスチャン・スタン。

あらすじ
顔に特異な形態的特徴を持ちながら俳優を目指すエドワードは、劇作家を目指す隣人イングリッドにひかれながらも、自分の気持ちを閉じ込めて生きていた。ある日、彼は外見を劇的に変える過激な治療を受け、念願の新しい顔を手に入れる。過去を捨て、別人として順風満帆な人生を歩みだすエドワードだったが、かつての自分の顔にそっくりな男オズワルドが現れたことで、運命の歯車が狂いはじめる。

あらすじにもあるように、映画の半分くらいまで、セバスチャン・スタンはマスクを被った状態で登場する。
顔に特異な形態的特徴を持つ、という役だが、その特徴からの自信のなさ、世間の目を気にして萎縮してしまう感じなどが、喋り方や佇まいからビシバシ漂ってくる。
このマスクの人は本当にセバスチャン・スタンなんだろうか?と疑ってしまうほどに、猫背でひょろひょろとした声で喋る。
体が体内に吸い込まれて消失してしまいそうな雰囲気で、素晴らしい。
そのスタン演じるエドワードが、隣人のイングリッドと言葉を交わし、見た目の壁を感じなくなってくる過程も丁寧で見応えがある。
良い関係じゃん、見た目より中身だよね、という展開に一度は落ち着きそうになるのだが、それと同時に、エドワードが抱えているだろう「この顔では」というコンプレックスも湧き出して、彼は未知の治療法にすがる。本当はイングリッドといる今が幸せなはずなんだけれど、そこに、「今よりもっと幸せになりたい」と誰もが抱える願いが重なる。
顔の形態的特徴を無くす、治療する、という彼の願いが見事に叶うが、完全に見た目が別人になる。ここでようやくマスクの下のセバスチャン・スタンが登場だ。
見た目より中身、という流れでいくならば、中身はもとのままだから、エドワードとイングリッドは結ばれてもよいはずなのだが、エドワードはここでエドワードの死を装い、自らはイングリッドの前から姿を消す。
なんでよー、打ち明ければいいじゃーん!と思うのだが、今までの自分をまるっきり捨てたかったのか、イケメン・セバスチャンに変身した全能感からなのか、さらなる「幸せ」を求めて新天地を求めたのか、その辺は定かではないが、まぁいろんな感情が渦巻いたんだろう。
この辺の感情と、エドワードが住んでいる家の天井の穴、が象徴的に描かれているような気がした。

さて、ここで映画折り返し。

イケメンになり別人として生き始めたエドワードはある日イングリッドを目撃。尾行すると彼女は、エドワードとの日々を舞台にした演劇作品のオーディションをしていた。この役はまさに自分のもの、とオーディションに参加するエドワードだが、後に彼らの目の前に、エドワードと同じ顔に形態的特徴を持つオズワルドが現れ…。

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という、ここまでがあらすじにも書いてある内容。

さて、ここで重要なのが、オズワルドを演じるアダム・ピアソンは、実際に顔に形態的特徴を持った俳優である、という点。
マスクではない。劇中劇の『エドワード』で主役となったセバスチャン・スタンは、より身体的当事者性を持つオズワルドに役を追われる事となる。
精神的当事者性は完全にエドワードの優位なのに、身体的当事者性はオズワルドが上回るのだ。むしろ精神的当事者性はオズワルドは微塵も持っていない、自信を持って生きてきた人間なのにだ。
ここで、前半の「見た目より中身」的なテーマが、「中身より見た目」と裏返される事にもなる。
あれれれである。
観ている時にはこの辺りから怒涛の展開で、何が起きているのか整理出来ないまま出来事に飲まれていく感があったが、後半のこの映画の、居心地の悪さったらない。
それがおそらく、このテーマ大逆転にあるのではないかと思っている。
オズワルドを演じるアダム・ピアソンはプロの俳優。が、物語の中でオズワルドは、演技経験のない人として描かれている。それがまた複雑な構造だ。
身体的当事者性を持つ素人が、精神的当事者性を持つプロの俳優から、役を奪う。何てややこしい。
その上、あの展開だ。息つく暇もなく環境がぐるぐると動き、映画が終わった後には、嵐で遭難して砂浜に投げ出されたみたいな気持ちになる。
なんだったんだろう。
そう思って考え始めると、魚の小骨が喉に刺さったままずっと抜けないような感覚になる。
虚構と現実の隙間を縫ってどちらにも近寄らせない、そんないやらしさを感じる映画。この映画を観た、という体験が刺さる一本でした。