『ロボットドリームズ』
原題:Robot Dreams
監督:パブロ・ベルヘル
製作:2023年/スペイン・フランス合作
上映時間:102分


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この映画、公開が2024年の11月だ。
だが、4月現在、一部映画館ではまだ上映されている。私は新宿武蔵野館で観た。去年の公開時から「面白そう」と思っていながら、観るタイミングを逃し続け、とうとう鑑賞。

都会に暮らし、家に住み、テレビを見、人間のように生きる動物たちが溢れる世界。
映画は犬の「ドッグ(名前)」が、レンジで温めたご飯を一人家で食べながら、暗い部屋でテレビを観ているシーンから始まる。
孤独感がすごい。都会の人が多かれ少なかれ抱えているであろう孤独がぎゅっと凝縮されて描かれる。

そしてテレビで見かけた友達ロボットのCM。ドッグはすぐに電話をかける。宅配で届くロボットの部品を、説明書とにらめっこしながら組み立てるドッグ(あ、これ、自分で組み立てるんだ…!?)

やがて完成したロボットと共に、一緒に食事する、お出かけする、などなど、誰かと共有したかったことを次々に体験するドッグ。
躍動感と生命力に溢れるアニメーションが、ドッグの気持ちのワクワクを見事に描ききっている。

ロボットは友達になり得るか?
とか、そういう事を問う映画ではない。友達なのだ。
あぁ、幸せな映画だ、この幸せを90分浴びられる映画なんだ、最高!

と思いきやである。

ドッグめ。海水浴に行きやがるのである。
大丈夫なの!?DIYで組み上げたロボット、塩分を含んだ水、大丈夫なの!?
一緒に海に入り、ドッグを背中に乗せ華麗に泳ぎ回るロボット。

…あ、大丈夫なんだ、よかった!
ビーチで二人で寝転がり、誰もいなくなる時間までのんびりし、さぁ、帰ろう。
と、ロボット、錆びついて動かないのだ。

ほら、こうなる。最悪。

なんとかロボットを動かそうと四苦八苦するドッグ。ところがロボットの重量は凄まじく、どうあがいても動けないロボットをビーチから連れ出せない。
必ず戻ってくるからと、様々な準備を整え翌日ビーチに向かうドッグ。
だが、海のシーズンは終わり、ビーチは完全閉鎖。高いフェンスの向こうのロボットになんとか辿り着こうとすると、怖い警備員に追い立てられる。

ドッグは次の海開きまでを指折り数え待ち続け、ロボットもまた、ドッグが救出に来るのを動けない身体で待ち続けるのだ。

と、ここまでの怒涛の展開が、前半の早い段階で起きる。
公式予告にもここまでのストーリーは明記してある。
それを全く読まずに観に行った私、少々混乱した。
思ってたんとかなり違う!ドッグとロボットのハッピーなドリームは一瞬で終わった。

ただ、ここからがこの映画の真髄だ。

幸せな時間を互いに経験した両者。
突然の別離による喪失感。
相手のことを想い続けたり、時々忘れようと努力してみたりの日々。
時は否応なく過ぎ、それぞれの生活がスタートしていく。

この、別れ、という現象とどう付き合っていくか。傷をどう癒していくか、残りの上映時間をたっぷり使って描かれる。

特にロボット側は、体錆びついて一歩も動けないので、出来ることが「想う」事しかない。ひたすらにドッグとの再会を待ち望むロボットは、その思考回路の中で様々な夢を見る。この夢の表現が、美しく、残酷だ。

それでも時間は過ぎていく。

ドッグとロボット。両者は再会を果たす事が出来るのか…。

あらゆる意味で「今」を大切にすることの重要さ、他者の幸せを願うことの美しさを見せてくれる、心暖まる上にビター極まりない映画だった。

誰もが共感出来るだろう、親しい人との別れ。その感情との付き合い方を見事に描き出した映画だった。
例えば、卒業して別の進路を歩き出した友人が、他の友達と親しそうにしているのを偶然見かけた時。
例えば、別れた恋人が、別の人と手を繋いで歩いているのに遭遇した時。
そういったナイーブな所をぐりぐりと抉ってくる、ある意味凶悪な作品でもある。

この映画、台詞が一切ない。
言葉がないからこそ、アニメーションのキャラクターの動きが、目が、より生き生きと感情を物語る。音楽が心の機微を描き切る。素晴らしかったの一言に尽きる。