太宰治の『I can speak』読みました。

太宰治が、色々大変な事があって、
「わが歌、声を失い」
といった状況にある中、甲府で出会った美しい光景。

部屋で仕事をしていると、隣の工場から、
女工さんの美しい歌声が聞こえてくる。
中に一つ、際立って良い声があって、創作にふける中、
どんなにその声に救われたか分からない、という。

「ここにひとり、わびしい男がいて、毎日毎日あなたの唄で、どんなに救われているかわからない、あなたは、それをご存じない、あなたは私を、私の仕事を、どんなに、けなげに、はげまして呉れたか、私は、しんからお礼を言いたい。」

こういう、日常の中で、自分を救ってくれるもの、
あるなぁ、と思いました。
おそらく普段気づいていないような事が多いんでしょうけど、
ちょっとした光景にしろ、芸術作品にしろ、
我々は、多くの物に救われて日々を暮らしているのだな、と。

物語は、その工場に、夜、酔っ払いの男性が訪ねてきて、
女工さんと話をしている、
それをひっそり聞いていると、どうやら兄弟の会話らしい、
その会話の中の"I can speak"という言葉にハッとさせられ、
「忘れた歌を思い出したような気がした」
と続きます。

「たあいない風景ではあったが、けれども、私には忘れがたい」

これです、これ。
私にとって、忘れがたいもの。
そういうものを心に刻みながら、生きていくのだなと思います。

日常の中に、確かにある、美しい瞬間。
気付かず過ぎていくような一瞬。
そんなものを文字で切り取って、永遠の瞬間にしていく、
って、小説すごい!
という、子供みたいな感想。

太宰治『I can speak』お楽しみ下さいませ。



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