「おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。」

というキャッチ―な書き出しで始まる、
画家の夫に対する離縁の手紙、という形式で書かれた太宰治の小説『きりぎりす』
朗読しました。

手紙という性質もあり、全編が一人称で書かれているので、
もはや一人芝居である、と言っても過言ではない作品だと思ってます。
実際、一人芝居でも結構上演されてる印象がありますね。

売れない、どうしようもない画家の元に、
「この人を理解できるのは自分だけだ!」と周囲の反対を押し切って嫁いだ娘。
しかし画家が売れ始め、次第に美点だと思っていた所が、そうではなかったと判明し、
画家は金を持ちどんどん愚物になっていき、
貧乏でも、本当の芸術を生み出して細々生きていければいい、
と夢を描いていた妻は、夫に耐えられなくなってくる、という話です。
その生活の一部始終が回想として盛り込まれています。

「芸術家は弱者の味方」と色んな作品で書いている太宰の「理想」みたいなもの?
からかけ離れていく画家の夫の姿。
それを告発する、正義に潔癖な妻の思想。
みたいな感じですが、
これ、妻からの一方的な視点でもあるので、真実はどうなんだ、
という所はなんとも言えないのが面白い点だと思います。

確かに妻の言っている事はごもっとも至極、とは思いつつも、
文章の端々から、
「なんで私の好きなあなたでいてくれないの」
という感情が染み出ているように感じます。

世間に認められない芸術家の、ただ一人の理解者である自分、
という所が大切なんじゃねぇか奥さん?
という感もあり。
売れない時代を応援していたファンが、
アーティストが売れ始めると何かつまらない思いがする、
とか、
「もう自分が応援しなくてもいいか…」と思っちゃう、とか、
結構どこにでもある話かと思い、
複雑な感情渦巻く作品だなと思います。
まぁ、夫の愚物感はすごいんですが。

その、「なぜ私だけのあなたでいてくれないのですか」
という点では、この『きりぎりす』は、
同じ太宰治の『駆込み訴え』とも共通している点が多いなと感じます。
キリストを売るユダの心境を描いた作品ですが、
大好きで大好きでしょうがないあなた、
でも私の思い通りにならないなら壊しちゃおう、という、
ねじくれた愛の形というかなんというか…。
女性版『駆込み訴え』と言ってもいいような気さえします。

しかし、愚物が世の中にもてはやされ、
「この世では、やはり、あなたのような生きかたが、正しいのでしょうか」
と煩悶する妻の切実さには心を動かされるものがあります。
そして、自分の考え、という、世の中にとって小さな声と呼応するように聞こえてくる、
小さなきりぎりすの声。
それを背骨にしっかりしまって生きていこうと決意する妻。
人生の新たなフェーズに突入する感があり、
『駆込み訴え』よりも、ぐっと密やかに爽やかな印象がありました。


しかしまぁ、芸術家にとって、
「売れなくても良い物を作ってればいいんだ」
というのは、そりゃそうなのですが、売れたくもあるわそりゃ、
というのは、また別問題で大きなテーマですわなと思います。

「心の中で、遠い大きいプライドを持って、こっそり生きていたいと思います。」

あぁ、茨の道!

この画家の夫の独白、みたいのは無いんでしょうかね。
両方の言い分を聞いてみたい。

それではお楽しみ下さい。
太宰治の、『きりぎりす』



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こちらは『駆込み訴え』