文学座9月アトリエの会
『冒した者』
作:三好十郎
演出:上村聡史
日程:2017年9月6〜22日
料金:前売4300円/当日4600円(全席指定)
会場:文学座アトリエ

なんだか、とんでもない頑固親父に説教されてるような舞台。
上演時間は休憩2回挟んでの3時間40分近く。
でも、全然説教臭くない。

主に説教節を展開するのが「私(大滝 寛)」なのだけれど、
この私が、理想は高く持っていても既に一度折れてしまった人、
そんな私が、
「こんな事ではいかん。のではないか?いや、どうか。わかんない。けれども。」
と七転八倒、血を吐くようにひねり出す台詞の数々が、
もう全然かっこよくなくて、だからこそとてもスッと胸に染み込んでくる感があった。
高い所から説教垂れるのでなく、
地面に這いつくばって、もがきながら、
一緒に考えようと話をしてくれる。
そんな泥臭さ、かっこ悪さが、たまらない。

舞台美術も斬新で、中央にぽっかりクレーターが、
とかいうより、方々に舞台写真が出回ってるので貼っておきます。
朝日新聞デジタルから。

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上演中から、こういう写真が出回ってるのは、
なんだか好奇心をくすぐられて楽しいですね。
この真ん中のクレーターの回りやら中やらを、
くるくる回ってみたりころころ転がってみたりという場の使い方がとても面白くて、
見えない人間関係の距離感とかが浮き彫りになるようで。
この円形、という事と、核の話、というのが重なって、
昔、新国立劇場で観た『コペンハーゲン』の美術も美しかったな、と思い出したり。



戦後間もない日本でどうにか暮らす人々が、
ある日、人を殺した須永という青年と触れあうことで、
金銭欲、情欲、嫉妬、猜疑心、名誉欲、性欲
その他諸々を表に出していくぐちゃぐちゃした話。
これが人間、それでも私は生きていく。
人間は、原子爆弾の開発で、
物質の、神にしか触れられない領域を冒した。
その冒した者となった我々は、
新たに生きなおさなければならない的な。

第二次大戦後間もない時期、
朝鮮戦争勃発の頃の不安定な時代の言葉が、
あせないで響いてくるのは、哀しいかな、ですが。

「38度線の上には実際は立てないけれども、線と言われているからにはその上には立つことが出来るはずで、5秒しか立てないかもしれないけども、5秒立てればもっと長いこと立つことだって出来るはずで」

的な、「それでも」と新しい何かを見出だそうとする、敵か味方か、あちらかこちらか、
以外の選択があるはずだともがきまくる姿にはやはり心を打たれないではおれず、
すっと涙こぼれますね。

ほんとに長い戯曲で、これ絶対飽きると観る前は思ったものの、まったく飽きない。

中村彰男さん、若松泰弘さん、ほんとに素敵だった。
カッコ悪いおじさんすぎて、本当にかっこいい。若松さん、かっこよかったなぁ…。
巧みな、妖怪(特に女優陣が妖怪的でドギモ抜かれた)のような出演者たちの饗宴に、
微塵も飽きてる時間がない。

ラストシーンの演出がとても話題になってるらしく。
僕には、「新人類への道は遠いぞ」
と言われてるように感じました。
もう、見た目からなにから幻想的すぎるというか、
ユートピアというか、
生身では到達できない世界ぽくて、
それまでの「私」の語りに没頭してたとこからぽーんと放り投げられるようで。

こりゃ、戯曲も読んでみなければ。


余談ですが、作家の三好十郎が、
「冒した者」について
という文章を書いてるので、朗読しときました。

「今までの作品は観れば分かるように書いてたけど、これ、わかんないかもしんない。重要な鍵を客席に投げちゃったから。ぽーい。」
という話。

ここで語られている「現代」は、
今なお「現代」なのだなと。