『したたかなロシア演劇-タガンカ劇場と現代ロシア演劇』
著:堀江新二
1999年 世界思想社

これはとても面白い本でした。
二部構成になっていて、
一部はソ連政権下、全盛期のタガンカ劇場について。
スタニスラフスキーとメイエルホリドの正統な後継者に当たる演出家・リュビーモフと、
反政権的な歌を歌い続けたヴィソーツキによる、
ブレヒト上演など、
当時の公演の様子を伺い知ることが出来るワクワクする文章。
幕の代わりに照明で幕を作る「ライトカーテン」とか、めっちゃかっこよさそう。
常に、時代の大きな流れに異を唱え続ける作風で、
日常言えないことを劇場が言ってくれる、
そんな舞台ばかりだったそう。
二部は、
ポスト・タガンカ時代。
ソ連の崩壊とともに自由な空気が流れ始めてから、
皮肉なことに「民衆の不満の拠り所」だったタガンカ劇場が求心力のある芝居を作れなくなり、
その後の話。
ロシア演劇20年周期、と呼ばれる、
20年ごとの流れ。
その新しい波を待つ時代になった、と。
観客は金だけもってるネオインテリが溢れ、
観劇マナーがすごく悪くなる、とか、
俳優の時代の到来、とか。
そんな中で登場したアマチュア(演劇大学を出てない集まり)劇団・ユーゴザーパド(これは私も来日公演で『マクベス』観た)と、
鬼才・ベリャコーヴィチの出現。
1990年代のロシア演劇事情を、
代表的な舞台の詳細とともに語ってくれる。
「ロシア演劇はいつも握り拳をポケットにしのばせていた」
反権力・反体制としてのロシア演劇の精神、
みたいなものが熱い。
ペレストロイカとともに求心力がなくなる、とかも本当に皮肉。
俳優の技術訓練の必要性なんかも説いていて、
ボリューミーな一冊。
冒頭に『ハムレット』の
「芝居はいつの世も時代を映す鏡」
という台詞が引いてあり、
まさにその台詞通りの内容。
今の時代は、果たして何が映るのでしょうか。
巻末には、小山内薫のロシア留学の話が。
ロシアの演劇人たちが貞奴を激賞する中、
貞奴らを「低俗な芸者」として演劇的対立をしていた小山内が、赤面するしかなかった、
というエピソード。
これもまた、おもしろい。
堀江さんは、
「文学の評論などは、実際に触れられる作品について書くが、演劇の評論は、書いたときには上演は終わっているので、元の作品に触れられない。そういった物について色々書くのもはばかられる」
みたいな事を書いてらしたが、
いやいや、こういう本もっとあるといいなと思いました。
こういう公演があった、こんな演出があった、
こんな風に俳優が演じた、
たしかにもう観ることは出来ないけれど、
その記録があれば、
先人たちの苦労が、今にも活きるように思う。
むしろ、もう観られないからこそ、
記録から想像して新しい物が生まれやすそうな気も。
ライトカーテン、かっこいいよライトカーテン。
図書館で借りたけど、
手元に欲しい一冊。
著:堀江新二
1999年 世界思想社

これはとても面白い本でした。
二部構成になっていて、
一部はソ連政権下、全盛期のタガンカ劇場について。
スタニスラフスキーとメイエルホリドの正統な後継者に当たる演出家・リュビーモフと、
反政権的な歌を歌い続けたヴィソーツキによる、
ブレヒト上演など、
当時の公演の様子を伺い知ることが出来るワクワクする文章。
幕の代わりに照明で幕を作る「ライトカーテン」とか、めっちゃかっこよさそう。
常に、時代の大きな流れに異を唱え続ける作風で、
日常言えないことを劇場が言ってくれる、
そんな舞台ばかりだったそう。
二部は、
ポスト・タガンカ時代。
ソ連の崩壊とともに自由な空気が流れ始めてから、
皮肉なことに「民衆の不満の拠り所」だったタガンカ劇場が求心力のある芝居を作れなくなり、
その後の話。
ロシア演劇20年周期、と呼ばれる、
20年ごとの流れ。
その新しい波を待つ時代になった、と。
観客は金だけもってるネオインテリが溢れ、
観劇マナーがすごく悪くなる、とか、
俳優の時代の到来、とか。
そんな中で登場したアマチュア(演劇大学を出てない集まり)劇団・ユーゴザーパド(これは私も来日公演で『マクベス』観た)と、
鬼才・ベリャコーヴィチの出現。
1990年代のロシア演劇事情を、
代表的な舞台の詳細とともに語ってくれる。
「ロシア演劇はいつも握り拳をポケットにしのばせていた」
反権力・反体制としてのロシア演劇の精神、
みたいなものが熱い。
ペレストロイカとともに求心力がなくなる、とかも本当に皮肉。
俳優の技術訓練の必要性なんかも説いていて、
ボリューミーな一冊。
冒頭に『ハムレット』の
「芝居はいつの世も時代を映す鏡」
という台詞が引いてあり、
まさにその台詞通りの内容。
今の時代は、果たして何が映るのでしょうか。
巻末には、小山内薫のロシア留学の話が。
ロシアの演劇人たちが貞奴を激賞する中、
貞奴らを「低俗な芸者」として演劇的対立をしていた小山内が、赤面するしかなかった、
というエピソード。
これもまた、おもしろい。
堀江さんは、
「文学の評論などは、実際に触れられる作品について書くが、演劇の評論は、書いたときには上演は終わっているので、元の作品に触れられない。そういった物について色々書くのもはばかられる」
みたいな事を書いてらしたが、
いやいや、こういう本もっとあるといいなと思いました。
こういう公演があった、こんな演出があった、
こんな風に俳優が演じた、
たしかにもう観ることは出来ないけれど、
その記録があれば、
先人たちの苦労が、今にも活きるように思う。
むしろ、もう観られないからこそ、
記録から想像して新しい物が生まれやすそうな気も。
ライトカーテン、かっこいいよライトカーテン。
図書館で借りたけど、
手元に欲しい一冊。
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