演劇ユニットハイブリッド 第7回公演
『ロボット』
作:カレル・チャペック
潤色:勝嶋啓太
演出:中野志朗
日程:2015年10月7〜12日
料金:前売3000円/当日3300円
会場:ART THEATER かもめ座

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なるべくネタばれしないように書いてますが、
そういうの気になる、かつ観に行く予定の方は、観た後に読んでくださいまし。

「ロボット」という言葉を世界に広めた戯曲の上演。
この戯曲上に登場する「ロボット」は、機械的な、ガンダムみたいな、物ではなく、
「人の手で作られた、感情のない、恐怖のない、生殖機能のない、人間」
のようなものである。
舞台となる
「ロッスムのユニバーサル・ロボット社」は、
そういうロボットに労働を担わせる事で人類を労働から解放し、
物は欲しいだけ手に入る、
「自分のやりたい事が労働なしに出来る社会」の実現を目標にロボット製造に明け暮れている。
とある孤島に、役員数人の男たち、職員は全てロボット。
その島に、若い女性が一人訪れる所から始まる序幕。

序幕・一幕・二幕・三幕の四幕構成のこの戯曲だが、
この上演では
「ロボットが生まれた経緯」をざっくりダイジェスト説明する事で序幕を大幅にカット。
それでも上演時間が二時間半なのだから恐ろしい。

この潤色に関しては、私はもっとうまいやり方があったのではないかと思う。
序幕から取りだしたエッセンスがロボット絡みが多く、人間のあり様がこぼれ落ちてしまっているように感じた。

大きな所では、
「労働を排除する事で人類を幸せに導く」事を掲げる社長・ドミンと、
「労働や疲労の中に何か徳のような物があった」と主張する建築士・アルクビストの対立だ。
ここの思想の違いが、後半語られるにはせよ、
労働をどう見ているか、という点で一つ早めに欲しかった。

会社の役員であるファブリ、ガル、ハレマイエル、ブスマンらが、
訪ねてきた若い女性・ヘレナに、ドミン、アルクビスト含め夢中になってしまう筋も面白い。
ここで、女性に対する各々のアプローチからキャラクターの個性づけがなされているので、
ここを省いてしまったが故に、
特にファブリ・ハレマイエル・ブスマンの三人が半ばモブキャラ化してしまい、
何をしているのかいまいちわからずじまいになってしまったように思う。
ハレマイエルは、最後まで、なんであの場にいるのか曖昧なままだったように思う。

観た方は、是非是非元の戯曲を読んで、
「ロボット」でない人間のありようも味わってほしいものだ。

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舞台機構唯一の大物仕掛けは、転換などの際、面白く機能していた。
ただ、手法が同じなので、
後半になるにつれ、転換がやたら長く感じてしまう要因にもなっていたように思う。

全体的には前半が非常に展開が重く、観にくい。
人によっては演技が、やたらに情感がこもり過ぎて、全体のペースが重くなっていた印象。
力抜く所が、もうちょいあっても良いのではなかろうか。
そして、全体の空気感・雰囲気の共有、とでも言おうか、
場の空気作りというのがまるで駄目なシーンがちらほら。
俳優個々は何かを作りだそうとしているのだが、それがうまく方向がまとまっていない様子。
実力派が揃っているはずなので、なんとも勿体ない。

後半は色々物事が動き、賑やかな印象。
後半を彩ったのは、重い芝居が続く中、周りの雰囲気などものともせずに登場するダモン(中田由布)
面白かった。


自分たちが作り出した物を制御出来なくなる、という大筋の内容ですが、
私はこの戯曲に、労働への讃歌を感じました。
時が経ち、「ロボット」という概念が何も突飛な事でなくなっている現代。
今なお古典名作として愛されるのは、労働と愛への、人間の思想を描いているからなのでしょうな。
時が経っても古びない。
芸術は、時を越えるスタンドだ、というジョジョの台詞を思い出しました。