アンファンテリブル・プロデュース
『(仮)の事情』

作・演出:佃典彦
日程:2015年9月17〜24日
料金:前売3500円/当日3800円/カルチベートチケット
会場:中野 スタジオあくとれ
あくとれがこんな風にカッコよく使われている所を、
僕は初めて見た。
こんな風にシビレル開幕も、久しぶりに観た。
この内容で、この距離で、もう、観なきゃ損だ。
出演は寺十吾、吉村公佑(劇団B級遊撃隊)、前川麻子の三人。
ちょっと、もう、濃すぎる。
この三人が、衣裳を変えたり語り手になったりと、
もう縦横無尽の演技を展開する。
豪華すぎる。
寺十吾さんは『フォルケフィエンデ』でもう抜群に「すごい!!」
と思ったのだが、
今回もやっぱり「抜群!」だった。
今年観た良い芝居の記憶が、全て寺十さんに征服されそうで恐い。
『フォルケフィエンデ』とは正反対の方向で、
老婆から50代の浮気男まで、ごくごく自然な、それでいて凄みのある存在感…。
吉村公佑さんは、4月に僕が神奈川県庁舎での芝居に出演した際、
演出を担当してくださった方だ。
「プロレスみたいな芝居やりたいんすよ」
としょっちゅう言ってたのが記憶に鮮明に残ってるが、
今回もまた、プロレスを感じさせる内容だった。
吉村さんの演技は舞台では初めて観るが、
言葉のエネルギーが気持ちよく相手に向かっていく。
チョップからドロップキック、投げ技まで、一切のエネルギーを惜しまず闘っている。
介護施設の職員から、人間の体の一部まで、闘い切っている。
キャラクターから身体のシルエットまで、
これほどあの役にマッチした人はいないだろう。
シルエットがもう、アレにしか見えない。
そして前川麻子さん。
溌溂とした、そして艶のある、存在感。
僕はあんまり「あぁ、この人良い声!!」と舞台観てて思う事がないのだが、
もう、「あぁ、良い声!!」と思ってしまったのだった。
この三人が、あくとれの空間で、
人間の業を描きだす、もう、それはすさまじい公演でした。
作・演出は佃典彦さん。
佃さんの本は、文学座で上演された『ぬけがら』が鮮明ですが、
今回も、老人パワー、みたいなものがバンバン出ておりました。
戯曲の形が、めちゃくちゃ美しい…。
あらすじをサイトから引用しときます。
ぶらぶらと線路の上を歩く徘徊老人、
探しに来た介護施設の職員との会話も今ひとつ噛み合わない。
老女は「定」と名乗り、
かつての愛人を偲ぶ自分だけの世界に生きている。
線路の向こうからやって来た男が
「俺はあんたに切り取られたチンコだ」
と名乗ると、定に「そのとき」が蘇る…。
そう、阿部定の話だったんです。
この老女が「定」なのかどうかは置いといて、
事件当時と現代の重ね合わせ方、見事…。
強い執着のあった「あの時」が「今」やってくる感覚。
それがダイナミックかつ丁寧にラストに向かって繋がれていくのがたまらない。
施設を脱走して、認知症だからと端から相手にされない老女が生きる今が、
今現在の時間に重なっていくこの感触…
認知症って、タイムマシーンなのかもしれないと思っちゃうほどに、強烈。
『ぬけがら』ではじいさんが脱皮を繰り返して若返っていく様を描いた佃さんが、
今回は、肉体と共に老いた精神が覚醒していく様を描いているように思えて、
認知症で時を越える老女。なんだか鳥肌ものです。
覚醒というかボケなのかもしれないけれど、
そのボケの中には、確固たる真実が埋まっている、というか、いや、何と言ったらいいのか。
時を隔てても、鋭さが鈍らない情念・人間の業、みたいなものが、
皮肉やギャグを交えて、比較的接しやすい形で舞台に乗ってるんですが、
ほんとはヘビーなパンチが盛り沢山、という。
言葉にならないものが、言葉に出来ないものが、
しっかり舞台に乗っている。ザ・演劇。
おそるべき舞台でした。
まだまだ演劇に絶望するには早いなぁと思います、ほんと。
24日までやってます。
観て損はないかと。
ちなみに、カルチベートチケット、という、
どこかの誰かが善意でお金を払ったチケットを利用して、
無料で観劇出来るシステムが導入されています。
毎ステージ何枚か出るみたいです。
色々すごい。
『(仮)の事情』

作・演出:佃典彦
日程:2015年9月17〜24日
料金:前売3500円/当日3800円/カルチベートチケット
会場:中野 スタジオあくとれ
あくとれがこんな風にカッコよく使われている所を、
僕は初めて見た。
こんな風にシビレル開幕も、久しぶりに観た。
この内容で、この距離で、もう、観なきゃ損だ。
出演は寺十吾、吉村公佑(劇団B級遊撃隊)、前川麻子の三人。
ちょっと、もう、濃すぎる。
この三人が、衣裳を変えたり語り手になったりと、
もう縦横無尽の演技を展開する。
豪華すぎる。
寺十吾さんは『フォルケフィエンデ』でもう抜群に「すごい!!」
と思ったのだが、
今回もやっぱり「抜群!」だった。
今年観た良い芝居の記憶が、全て寺十さんに征服されそうで恐い。
『フォルケフィエンデ』とは正反対の方向で、
老婆から50代の浮気男まで、ごくごく自然な、それでいて凄みのある存在感…。
吉村公佑さんは、4月に僕が神奈川県庁舎での芝居に出演した際、
演出を担当してくださった方だ。
「プロレスみたいな芝居やりたいんすよ」
としょっちゅう言ってたのが記憶に鮮明に残ってるが、
今回もまた、プロレスを感じさせる内容だった。
吉村さんの演技は舞台では初めて観るが、
言葉のエネルギーが気持ちよく相手に向かっていく。
チョップからドロップキック、投げ技まで、一切のエネルギーを惜しまず闘っている。
介護施設の職員から、人間の体の一部まで、闘い切っている。
キャラクターから身体のシルエットまで、
これほどあの役にマッチした人はいないだろう。
シルエットがもう、アレにしか見えない。
そして前川麻子さん。
溌溂とした、そして艶のある、存在感。
僕はあんまり「あぁ、この人良い声!!」と舞台観てて思う事がないのだが、
もう、「あぁ、良い声!!」と思ってしまったのだった。
この三人が、あくとれの空間で、
人間の業を描きだす、もう、それはすさまじい公演でした。
作・演出は佃典彦さん。
佃さんの本は、文学座で上演された『ぬけがら』が鮮明ですが、
今回も、老人パワー、みたいなものがバンバン出ておりました。
戯曲の形が、めちゃくちゃ美しい…。
あらすじをサイトから引用しときます。
ぶらぶらと線路の上を歩く徘徊老人、
探しに来た介護施設の職員との会話も今ひとつ噛み合わない。
老女は「定」と名乗り、
かつての愛人を偲ぶ自分だけの世界に生きている。
線路の向こうからやって来た男が
「俺はあんたに切り取られたチンコだ」
と名乗ると、定に「そのとき」が蘇る…。
そう、阿部定の話だったんです。
この老女が「定」なのかどうかは置いといて、
事件当時と現代の重ね合わせ方、見事…。
強い執着のあった「あの時」が「今」やってくる感覚。
それがダイナミックかつ丁寧にラストに向かって繋がれていくのがたまらない。
施設を脱走して、認知症だからと端から相手にされない老女が生きる今が、
今現在の時間に重なっていくこの感触…
認知症って、タイムマシーンなのかもしれないと思っちゃうほどに、強烈。
『ぬけがら』ではじいさんが脱皮を繰り返して若返っていく様を描いた佃さんが、
今回は、肉体と共に老いた精神が覚醒していく様を描いているように思えて、
認知症で時を越える老女。なんだか鳥肌ものです。
覚醒というかボケなのかもしれないけれど、
そのボケの中には、確固たる真実が埋まっている、というか、いや、何と言ったらいいのか。
時を隔てても、鋭さが鈍らない情念・人間の業、みたいなものが、
皮肉やギャグを交えて、比較的接しやすい形で舞台に乗ってるんですが、
ほんとはヘビーなパンチが盛り沢山、という。
言葉にならないものが、言葉に出来ないものが、
しっかり舞台に乗っている。ザ・演劇。
おそるべき舞台でした。
まだまだ演劇に絶望するには早いなぁと思います、ほんと。
24日までやってます。
観て損はないかと。
ちなみに、カルチベートチケット、という、
どこかの誰かが善意でお金を払ったチケットを利用して、
無料で観劇出来るシステムが導入されています。
毎ステージ何枚か出るみたいです。
色々すごい。
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