
ふたり芝居企画
金原並央×酒寄拓
『芝浜』
日程:2013年11月1〜3日
料金:無料
会場:東京 平井の一軒家
落語「死神」「芝浜」を二人芝居にして、
平井の民家で上演。
「死神」
15分くらい。
現代に置き換えて、って感じだったが、
「死神」のおいしいとこを大分削ってしまったように思える。
ろうそくのつけかえに到るまでが、なぁ。
押し入れからの登場は素敵。
「芝浜」
こちらはがっつりと落語を二人芝居に。
観ていて、色々と考えさせられた。
主に、「落語」という形の強みについて。
落語ならばすんなり入ってくる場面が、
いざ人物が二人、舞台上に存在する、となると、
なかなかどうして難しい。
一人が台詞言ってるときの、もう一人の居方。
落語の場合は、聞いてて自由に想像出来るんだが、
やはり人が一人舞台上にいる、となると、
どうしても注目してしまう。
喋ってる方よりも、聞いてる方を。
この話、そうは聞かないだろー、とか、
その姿勢はどうなんだろー、とか。
私、「芝浜」は、落語で何度も観ているだけに、
自分の中で「こうあって欲しい」みたいなイメージが強いと見えて、
おやおや、と思う場面は多かった。
朝っぱら、財布拾って、
誰かにつけられやしないかと思いながら帰ってきた、
その状況にしては声でかいんじゃない?
人、起きるよ、とかね。
細かいディティールが、二人芝居となると、やはり気になってしまった。
一人じゃないことは、演劇の大きな強みであるし、
一人であることは、落語の大きな強みだ。
この、対局にある強みを、どう変換するのか、というね。
落語を演劇化する、となると、この辺がどうにも難しい。
聴き手の想像力の使い方が変わってくるんだろうと思います。
語り、って面でも、やはり落語は自由なんだな、と感じる。
もちろん語りで成功してる舞台も沢山あるだろうけど、
演じ手がダイレクトに客席と関われる落語の立ち位置ってのは、
やっぱ魅力的だ。
落語を二人芝居にするのならば、
もっともっと思い切って良かったのにー!
と思うのである。
もちろん、「芝浜」は良い噺だし面白いんだけど、
落語の噺を二人でやってみる、から一歩先に行かないと、
結局の所、
「なら落語をやれ、落語を」
と思ってしまうのである。
金原並央はわりかし自由に演じてたように思う。
その分、落語の世界観、とは別の何かに向かっていたような気もするが。
逆に、酒寄拓の方は、落語の世界観とか、
いわゆる「落語っぽさ」みたいな物にとらわれてしまってたような気が。
二人が、どこを目指してたのか分からんからなんともだけど、
もっともっと自分たちに引き寄せた何かを作っても良いんではなかろうか。
缶ビール加える酒寄、万札をひらめかす金原。
あの写真の面白さを、もっと上手く形に出来るように思う。
入場無料でピルクルが振る舞われ、
感謝観劇カードをもらえる、そのホスピタリティ。
おもてなしの心や良し。
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