今月、2回ライブに行った。
一つはギャンギャンバリバリ、一つはムードある感じで、
どちらも50人ほど入るライブハウス。
中野、吉祥寺。
どちらもとても楽しく過ごす。
観てて思うのは、演劇よりもしっかり個性が出てる感じがするって事。
自分たちが作った曲や書いた詩を、演奏し、歌い、世界観を作り上げる。
もうすっかり、その人たちの世界。
演劇だとどうだろう。作家が作った脚本、人物を、役者が演じる。
すると作家の世界観や役者の個性が自然と立ち上が…らない事もしばしば。
音楽と舞台、原理は同じような気がするんだが、
役者となると、借りてきた言葉を、苦しそうに言ってる人をよく見るイメージ。
なんか楽しそうじゃない。
なんだろう。
役を「演じる」ってとこで一枚、思考にややこしいフィルターがかかってんのかしら。
ライブで歌ってる人を観てると、歌もそうだけど、その人たちの事、好きになってくる。
この魅力、役者にはすごい必要だと思う。
どんな役やってても、あの人の演技好き、みたいな。
がっちりした役作りはもちろん必要なんだろうけど、そこにしっかり自分がいる事、ってのが大事なのかもしれない。
……………
楽しくやればいい
好きな事をやればいい
ってのはわりと演劇で大事な事だと思う。
滑舌がどうの、とか演技の基礎がどうこう、とかはあまりこだわる事じゃない、と。
でもライブ観に行って、
滑舌やら演技の基礎やらってのはわりと大事な事なんじゃないか、とも思った。
高音をはずしがちな歌手がいた。
けど、音楽に食らいつく執念みたいな物が漂っているように感じられて、私はそんなに悪くないなと思った。
一緒に観に行った友人たちとその後食事へ。
「音はずしてて下手、論外」
みたいな話になり、その話聞いてると、確かに歌手が音はずすのはいかんな、とも思った。
そうなると、音楽に食らいつく執念みたいな物を感じたような気もしたけど、気のせいかも、論外かも。って思えてきちゃうのは不思議です。
誰かが良いって言ってるものの良さがわからないと、なんか恥ずかしくなるのと同じように、
誰かが悪いって言ってるものを良いって感じるのはまた、自分違うのかな、と思ってしまう弱さ。
そして考える。
歌手が音外す、とか歌詞間違えるってのは役者だとどういう事だろう。
例えば、台詞かむ、間違える。
例えば、気持ちが上手く乗らない。
こういう事、私がわりと些細な事と捉えてた事だ。
必死こいて、真っ直ぐ魂こめて芝居に向かってれば、気にする事じゃない、と。
だけど、私が些細だと思ってる事から
「あの役者基礎がなってない。論外」
って思われる可能性は十分にあるのでは…。
そう思うと、滑舌やらなんやらってのは、
観てもらう上で欠かせないパッケージングなんだな、と感じた。
パッケージングばかり気にする必要はないけど、
最低限気にする必要はあるんだな、と。
以前、友人の芝居観に行った時の事を思い出す。
必死こいて開演ギリギリにたどり着いたら、まだ舞台は仕込み中。
さすがに「ないわ」と思ったが、内容が面白かったから特に文句はない。
だけど、どんなに面白いにしても、お客さんに「ないわ」と思われたら、
その時点で「論外」になる可能性は十分にある。
演じ手が些細な事と思ってる事は、
観る側にとってはわりと重要な事かもしれない。
ライブ観に行って、その面白さに打たれ、色々と考えをめぐらすのでした。
一つはギャンギャンバリバリ、一つはムードある感じで、
どちらも50人ほど入るライブハウス。
中野、吉祥寺。
どちらもとても楽しく過ごす。
観てて思うのは、演劇よりもしっかり個性が出てる感じがするって事。
自分たちが作った曲や書いた詩を、演奏し、歌い、世界観を作り上げる。
もうすっかり、その人たちの世界。
演劇だとどうだろう。作家が作った脚本、人物を、役者が演じる。
すると作家の世界観や役者の個性が自然と立ち上が…らない事もしばしば。
音楽と舞台、原理は同じような気がするんだが、
役者となると、借りてきた言葉を、苦しそうに言ってる人をよく見るイメージ。
なんか楽しそうじゃない。
なんだろう。
役を「演じる」ってとこで一枚、思考にややこしいフィルターがかかってんのかしら。
ライブで歌ってる人を観てると、歌もそうだけど、その人たちの事、好きになってくる。
この魅力、役者にはすごい必要だと思う。
どんな役やってても、あの人の演技好き、みたいな。
がっちりした役作りはもちろん必要なんだろうけど、そこにしっかり自分がいる事、ってのが大事なのかもしれない。
……………
楽しくやればいい
好きな事をやればいい
ってのはわりと演劇で大事な事だと思う。
滑舌がどうの、とか演技の基礎がどうこう、とかはあまりこだわる事じゃない、と。
でもライブ観に行って、
滑舌やら演技の基礎やらってのはわりと大事な事なんじゃないか、とも思った。
高音をはずしがちな歌手がいた。
けど、音楽に食らいつく執念みたいな物が漂っているように感じられて、私はそんなに悪くないなと思った。
一緒に観に行った友人たちとその後食事へ。
「音はずしてて下手、論外」
みたいな話になり、その話聞いてると、確かに歌手が音はずすのはいかんな、とも思った。
そうなると、音楽に食らいつく執念みたいな物を感じたような気もしたけど、気のせいかも、論外かも。って思えてきちゃうのは不思議です。
誰かが良いって言ってるものの良さがわからないと、なんか恥ずかしくなるのと同じように、
誰かが悪いって言ってるものを良いって感じるのはまた、自分違うのかな、と思ってしまう弱さ。
そして考える。
歌手が音外す、とか歌詞間違えるってのは役者だとどういう事だろう。
例えば、台詞かむ、間違える。
例えば、気持ちが上手く乗らない。
こういう事、私がわりと些細な事と捉えてた事だ。
必死こいて、真っ直ぐ魂こめて芝居に向かってれば、気にする事じゃない、と。
だけど、私が些細だと思ってる事から
「あの役者基礎がなってない。論外」
って思われる可能性は十分にあるのでは…。
そう思うと、滑舌やらなんやらってのは、
観てもらう上で欠かせないパッケージングなんだな、と感じた。
パッケージングばかり気にする必要はないけど、
最低限気にする必要はあるんだな、と。
以前、友人の芝居観に行った時の事を思い出す。
必死こいて開演ギリギリにたどり着いたら、まだ舞台は仕込み中。
さすがに「ないわ」と思ったが、内容が面白かったから特に文句はない。
だけど、どんなに面白いにしても、お客さんに「ないわ」と思われたら、
その時点で「論外」になる可能性は十分にある。
演じ手が些細な事と思ってる事は、
観る側にとってはわりと重要な事かもしれない。
ライブ観に行って、その面白さに打たれ、色々と考えをめぐらすのでした。
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