2404597e.jpg『もうひとつの安部システム -師・安部公房 その素顔と思想』
著 渡辺聡
2002年 本の泉社


安部公房唯一の弟子と言われる渡辺聡氏による、師・安部公房の姿を描いた本。

一章と二章から成り、一章は著者と安部公房の出会いから、著者がこの本を記すに至った経緯が、二章は著者が「もう一つの安部システム」と呼ぶ安部公房の思想について書かれている。

一章では安部公房その人と著者の電話での会話などが多く抜粋され、「気難しい作家」というようなイメージからは程遠い、暖かい安部公房の人間性がうかがえる。
著者の論文執筆にエールを送る安部は「とにかく書く」という言葉を繰り返し用いている。医者で作家でこの言葉となると、どうしてもロシアの小説家・劇作家・医者であるアントン・チェーホフを連想せずにはいられない。

そして二章では、言語による体験を通して平和を築き上げるという、安部公房が追求し続けた思想について詳しくまとめている。

一章では安部公房の人間性に迫り、二章ではその安部が愛情を注いだ゛ヒト゛という種の存続へのアプローチに焦点を合わせる。なんともニクい構成である。
この本を読み終えた後では、安部作品に対する見方がガラリと変わりそうだ。

安部公房の弟子にして研究者であるこの本の著者が、大好きな安部公房についてこれだけ語っている本を読めば、安部作品に対する興味が倍増するのだから面白い。
自分の好きな物について語る人の話を聞くのはとても楽しい。そこには熱意と愛情があるからだ。
以前、ドラゴンボールが大好きな友人が延々とドラゴンボールについて語るのを聞きながら私も心踊らせたが、この本にはまさにそういった種類の魅力がある。

「安部公房の作品に「解釈」は、ご法度である。安部の言う様に、感じて、楽しむのだ。」

著者はこう語る。なるほど。確かに読んでてよくわからない所が多いが、こう考えてみると気が楽である(笑)

さらに、安部作品は
「言語による現実の創造へのチャレンジ」
であると著者は説く。
「とてもきれいな花」という文章を見ると、読者は自身が見たことのある、きれいな花を思い浮かべる。つまり、読者の記憶の中の追体験を行うのだ。
この、人が文章から受ける効果を、追体験ではなくその場での新しい体験にすること、つまり作中の人物がしたのと同種の体験をさせることが安部公房が目指した文章である、と。

この、読んでいる現在に現実を創造するという思考は、まさに戯曲が舞台に立ち上がるプロセスと同様なのではないかと私は考える。
そこには演出家や役者の゛解釈゛というフィルターは入ってしまうものの、やはり現在に精製される瞬間という点では同種の体験であはないだろうか。
この、創造力のパレードに、観る側も想像力を働かせてぶつかりあい、現在を体験する。それが舞台の持つ魅力の一つであろう。


著者は安部公房のこのチャレンジをこう語る。
「危うく脆い操舵を繰り返す種であるヒトへの憂い、さらには、弱く力なき者・なわばり(国家・人種・宗教等)に疎外され抑圧される者たちのこころの自由を等しく保証し、存続する安全を保証され得る、恒久的平和システムの実現を切望してやまない、普遍的なヒトへの愛と祈りがある。」
私も一読しただけなのでまだ視界がクリアではないが、この「言語による現実の創造」が、人間の想像力の欠如から起こる悲劇を回避する手がかりになるであろうことは考えることが出来る。

古代ギリシアにおいて、演劇が一種の医術として考えられたように、現代においてもその効果は失われてはいないように思う。



なんだかんだ長くなったけど、良い本でした。